明延鉱山の鉱石を神子畑選鉱場へ運ぶ鉄道、『明神電車』@兵庫・養父&朝来
明延鉱山探検坑道(記事)と、神子畑選鉱場跡(記事)を見学しましたが、かつて、この2つの施設を結んでいた鉄道があります。
東洋一の選鉱場、『神子畑選鉱場跡』へ行く
兵庫県養父市の『明延鉱山探検坑道』を見学したあと(記事)、隣の朝来市にある『神子畑(みこばた)選鉱場跡』へ。
1200年以上日本を支え続けた日本遺産、明延鉱山を見学
兵庫県のほぼ中央部、養父市の長閑な山中に、日本遺産に指定されている『明延鉱山探検坑道』を見学。
パンフレットによると、明延鉱山は約1270年前の奈良時代最盛期には開山していたと言われ、東大寺の大仏鋳造にもここで採掘された銅が使われていたとも言われている古い歴史のある鉱山。
その後、戦国時代には織田信長や豊臣秀吉、江戸時代には幕府直轄、明治時代には官営となり、まさに天下を取るには必要不可欠な資源を生む鉱山です。
明治29年(1896年)には三菱に払い下げられ、明治42年(1909年)に錫鉱が発見されてからは日本の錫の95%を産出、錫以外にも銅、銀、亜鉛など非鉄金属を含め、国内有数の鉱山として発展。
最盛期には月産35,000トンの粗鉱を産出していましたが、昭和62年(1987年)にプラザ合意による円高と世界的な金属価格の暴落により採算が取れなくなり、まだ地下に多くの資源を残しながら閉山しました。
閉山後、坑道の一部は鉱山学習施設として整備され、所要時間60分の見学ツアーが催されており、今回このツアーに参加してみた。