紙切れに価値を与えることは容易ではない
以前書いたドルを買う話ですが、その後も円安傾向が続いているため、まだ買っていません。
でも、いつまでも原資を現金のまま持っておくのももったいないので、ゼロ金利政策解除と噂される中、ひとまず個人向け国債でも買っておこうかな。
ボロ儲けを企んでいる訳ではなくて、小遣い程度に増えたら満足です。
なので、ハイリターンな金融商品は買いません。
あまり儲けすぎるとお金に洗脳されて体によくないし。
「投資のプロ」と自任していた某M上氏でさえ、足元をすくわれたのはご存知の通り。
北朝鮮のミサイル騒動でいっぺんに吹き飛んでしまった感がありますが、ミサイル発射前のニュースは、日銀総裁の投資話でもちきりでした。
我が国唯一の銀行券を発券できる機関として、経済の中枢を担っている日本銀行の一番偉い人が、投資をするって問題ですよね。
自身の裁量で金融システムを操作できる立場にあるので、八百長と言われても仕方がないでしょう。
説明を求められる度にはぐらかし続け、結局マル裸にされてしまいました。
貨幣経済では、銀行券の信用力が全てです。
金貨や銀貨とは異なり、ただの紙切れに過ぎない「紙幣」に価値を与えるには、発行元の中央銀行が信用されていなければなりません。
この貨幣経済を学ぶ上で、第二次大戦中の捕虜収容所での出来事は有名です。
パンや砂糖、タバコなどの配給を受けていた捕虜たちは、物々交換で好みのものを手に入れていました。
しかし、物々交換では取引をする上で不便なので、タバコを「貨幣」の代わりに使うことを考え出します。
物資の配給所で「パン=タバコ10本」といったような「価格表」も作られ、取引がスムーズになりました。
しかし、そのうちタバコの扱いも面倒になり、今度は配給所が、タバコと交換できることを保証した「タバコ交換券」なるものを発行しました。
これで取引は一層円滑になったといいます。
この収容所内での出来事は、物々交換から貨幣経済への移行を示す例として、よく取り上げられます。
「タバコ交換券」が流通するためには、中央銀行の役割を担う配給所が、捕虜たちから信頼されていることが不可欠です。
現実の経済においても同様、中央銀行が国民からの絶対的な信用を維持することが円滑な経済活動には必須で、その信用が少しでも落ちれば、日本経済自体揺らぎかねないことになります。
日本銀行の親分は、少しでも疑わしいことがあれば即刻辞めるべきでしょう。
これは法を犯しているかどうかの問題ではありません。
「信用」の問題です。
収容所内での貨幣経済は、物資配給の減少によって配給所の信用力が低下し、崩壊しました。
捕虜たちが「タバコ交換券」の受け取りを拒否したので、以前の物々交換に戻ることに。
ただの紙切れに、お金としての価値を与え続けるのは容易ではありません。
日本銀行は、その使命を果たし続けなければならない。
投資のことを「マネーゲーム」とはよく言ったもので、ゲームである以上、やり方を間違えるとゲームオーバーとなってしまいます。
数字が増えていくのを見ると、つい「もっと・・・」という感覚になりますが、線引きをきちんとしておかないと手痛いしっぺ返しにあうことでしょう。
鏡をみて(\_\)←こんな顔になっていたら、末期ですね。