FTR223でひとりツーリング ~明治時代の柳ヶ瀬トンネル~
FTR223でひとりツーリング。
新疋田駅へ行ったあと(記事)、次に目指すのは今は廃線になった旧北陸本線跡へ。
北陸本線の木ノ本~敦賀間は今では近江塩津から新疋田を経由したルートになり、敦賀からの上り線には北陸本線の見どころのひとつ、鳩原ループ線がありますが、明治時代に北陸本線が開通した時は、今とは違い柳ヶ瀬トンネルを経由するルートでした。
北陸本線が新ルートに切り替えられた後も柳ヶ瀬線として営業していましたが、昭和39年に廃線に。
廃線後の線路は、ほとんどが国道365号線や北陸自動車道の用地に転用されましたが、県道140号線として使われている区間では鉄道時代のトンネルが今でも使われており、そのうちのひとつが柳ヶ瀬トンネル。
柳ヶ瀬トンネルは、明治17年に建設された全長1,352mのトンネルで、開通当時は日本最長のトンネルでした。
そんな明治時代に造られた柳ヶ瀬トンネルですが、廃線後に道路用のトンネルとして転用され、今でも通ることができます。
そんな柳ヶ瀬トンネルへ行ってみることに。
新疋田駅を発ち、国道161号線から国道8号線を経て県道140号線へ。
県道140号線を走っていると、道路脇の茂みにちらほらと旧北陸本線時代の遺構も見えますが、今でも利用されているトンネルのひとつが小刀根トンネル。
県道からは外れている・・・ というか、県道の方がトンネルを避けるように迂回しているこのトンネルは明治14年に完成したもので、今でも通ることができます。、
明治初期の古い規格で造られたので開口部が小さいですが、鉄道用のトンネルの面影がうかがえる。
小刀根トンネルからしばらく進むと、柳ケ瀬トンネルへ。
明治初期の小さな機関車に合わせて造られた鉄道用の単線トンネルを今でもそのまま使っており、トンネル内ですれ違うことができないくらいに狭いため、信号で交互通行になっている。
ただ、全長1km以上もあるので、青信号が極端に短く、赤信号の待ち時間が6分30秒もあるという。
今では信号の横に待ち時間が表示されるようになり、ずいぶんイライラ感も減ったでしょうな。
待ち時間のバーが減ってきた頃、トンネルの中から車が出てくる。
しばらく車が出てこなくなると・・・
やっと信号が青に!
こちら側から車がトンネルへ入って行きますが・・・
3台目で黄色に変わり、再び赤。
次の青まであと6分30秒。
1時間で9回しか入れないトンネル。
信号待ちの間に、脇にある柳ヶ瀬隧道の土木学会推奨土木遺産の碑を読み込める。
6分30秒後、私も次の青でトンネルに入ると、中はほとんど照明はなく、暗くて狭くてひんやりした空気。
中でカーブしていて勾配もある。
さらに、このトンネル内で車輪が空転し立ち往生した蒸気機関車の乗務員が、機関車の煙に巻かれて窒息死する事故も起こっていて、一言で言うと・・・
不気味 (((((;゚Д゚))))
反対側の入口は、緑の茂みの中に吸い込まれていくみたいな。
道路脇には 『萬世永頼』 の石碑と・・・
柳ヶ瀬隧道の解説。
明治に造られたトンネルがそのまま今でも触れられるのは、なかなか貴重。
今回は柳ヶ瀬トンネルを目指しましたが、敦賀~今庄間の旧線にも建設当時のトンネルがある。
ただ、今回は別の目的地があるので、そちらはまたの機会に。