千里博覧会 「せんぱく」 を見てきた ~その2~ 千里ニュータウン
千里博覧会せんぱくの催しのひとつ、セルシーの地下で写真パネルが展示されてたんですが、あまりの懐かしさに見入ってしまう。
まずは千里中央の開発から、その後の変遷の様子。
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昭和44年の計画段階。
千里阪急百貨店とホテル、あと新千里東町のマンションはほとんどデザイン通り。
造成中の千里中央。
新千里西町の一部と新千里北町はほぼ出来上がってる。
万博建設と同じ時期にこれだけの規模の造成をするとは、当時の勢いを感じます。
北大阪急行の地下部分は開削工法で造られてるみたいで、コンクリートの構造物が見える。
昭和45年の開業当時の様子。
結果的に、計画図通りにデザインされた千里阪急百貨店とホテル、あとインターチェンジだけが現在もそのままの形で現存しており、その他はデザインが変わったり建て替わってしまっているという。
現在のせんちゅうパル、当時の千里サンタウンもまだ全て完成してません。
この頃、大丸ピーコックは3階建てでした。
昭和47年の千里中央はセルシーも完成していて、千里サンタウンの金の球もある。
昭和53年には、よみうり文化センターも完成してる。
よみうり文化センターの1Fにトヨタのディーラーがあり、よく遊びに行ったなぁ。
セルシーのネオンが点いてた頃、家から毎晩見ていたので、今でもそのパターンは再現できる。
セルシーといえば、ディッパーダンアイスクリームの歌が延々流れてました。
うろ覚えですがこんな感じだったかな。
ダンダン ダンダン ディッパーダン (ホッホー)
ダンダン ディッパーダン アイスクリ~ム
お日様ぎらぎら燃える日に アメーリカーからやって来た
冷たい冷たい雪だるまー ダンダンダンダンダンダン、ダーダーン
(続きの歌詞は忘れた)
昭和57年になると大丸が増床しており、新千里西町に保険会社のビルが立ち並ぶように。
平成6年になるとすでにモノレールが開通していて、高層ビルも建つように。
平成9年でも、今とはだいぶ違ってる。
まだ上新田へ渡る陸橋脇のマンションもなく、新千里西町の公社も建て替わってません。
で、平成29年現在の千里中央。
タワーマンションが建ち、周辺の団地も建て替わりましたが、よみうり文化センター跡地に現在工事中のタワーマンションが完成すると、かなり変わってしまいそう。
池の向こうに見えるのが、のちに千里ニュータウンの代表的なスターハウスとなる竹見台のC26棟~C28棟が建設中。当時は先進的なデザインでした。
特にC26棟は近々取り壊されることもあり、見るなら今のうち。
H型のC29棟、C25棟はすでに建ってるようです。
奥の竹見台団地、中層のC22棟はすごく長い。 その奥にH型のC24棟。
南千里駅前あった噴水と、奥には建設中のC27棟。
噴水前の広場は石畳みたいにボコボコでした。
広場前の道路は、まだバスターミナルになってません。
造成の様子の写真を見ていると、なんだかリアルシムシティみたいな。
今や「オールドタウン」と揶揄される千里ニュータウンですが、こうやって見ると半世紀先を行く街づくりに改めて感心します。