岩手県大槌町へ訪問し、東日本大震災の爪跡を見る。
岩手県花巻市でわんこそばを食べたあと、さらに東へ走り太平洋に面した大槌町へ向かいます。
まずは、岩手県立大槌高校へ。
2013年にPTAの会長をした時に、PTA連合協議会の研究大会で大槌高校の当時の校長先生に東日本大震災の講演をしていただきましたが、その時からずっとどんな学校なのか見てみたかったので。
本来は2012年に講演をお願いしてたんですが、来阪いただく当日に雪で飛行機が欠航になり来れなくなるというハプニングも今では思い出に。
大槌高校は高台にあり、震災当日の津波と火災を免れることができ、地震直後から避難してきた町民で一杯になるも学校の先生、生徒をはじめみなさんの献身的な努力と工夫で乗り切ったそうです。
次に、大槌町役場へ。
震災当日、当時の町役場は10mを超える津波にのまれて町長はじめ幹部職員が亡くなり、庁舎も2階まで水没する致命的な損傷を受けました。
現在の庁舎は、元々大槌小学校の校舎で津波後の火災に遭いましたが、その後、鉄筋4階建ての校舎を修復して、新しい町役場の庁舎に転用されたものです。
大槌小学校は、町内の他の小学校中学校と併合され、現在は大槌町立大槌学園として小中一貫校となっています。
その横には、この場所に大槌小学校があったことを示す記念碑があります。
大槌町は地震と津波と火災で、かつて町の中心部だったところのほとんどが流失、焼失し、今は空き地がかなり目立っており、その空地に野球場が整備されている。
このような広い空き地の中のスポーツ施設というのは、大槌町以外にも津波被害を受けたところに多く見られます。
津波の水没地にも住宅の再建が行われていますが、雑草に覆われた空き地の中に家が点在している状態で、なかなかこの場所で家を建てるのは進んでいないようです。
大津波に襲われた教訓から、今では海岸に沿って高さ14mを超える防潮堤が海を隔てている。
小槌川の河口に設けられた巨大水門は、防潮堤と一体になっています。
水門を見ると、水を完全にせき止めるというよりは、津波の遡上を防ぐのを目的としているみたい。
一般的な水門と違い開口部の高さは低く、開口部の上部は防潮堤と同じ高さのコンクリートの壁が固定されている。
防潮堤の上から海を見ると、元々の土地の標高よりも盛土でかさ上げされている様子がよくわかる。
以前の防潮堤では津波は防げなかったことを踏まえ、新しい防潮堤はかなり高い。
防潮堤の上から町を見ると、海に近いところには建物はなく延々と空き地が広がっている。
空き地が広がる背景には、土地の所有者はわかっているのに所在が不明で、復興のために用地買収をしようとしてもできない問題があるらしい。
まだまだ地震や津波の生々しい爪跡を見るだけで、言葉を失います。